1
その頃、私は鼻が利いた。
春になると、土の匂いがわかったし、
夏が近づくと若葉の匂いに息が詰まった。
秋には落ち葉が土に変わる匂いを感じ、
冬になると、雪の湿ったにおいで目を覚ました。
その年も若葉の匂いに夏を感じながらふと振り返ると、
そこに彼がいた。
2
彼は私よりも少しだけ背が高く、
白いシャツを着て、デニムの半ズボンをはいていた。
私と目が合うと彼は、「おはよう」と、
まるでずっと前から知っていた人にするみたいに挨拶をした。
そして私もまた、「おはよう」と、
彼のことをずっと前から知っていたかのように答えた。
3
私達は頬に風を感じながら、何も言わずにただ並んで座っていた。
その時間は長かったようにも短かったようにも感じられた。
やがて風が止まると、彼はこう言った。
「夏の匂いだね」
私はうれしくなって頷いた。
4
その日以来、彼に会うことはなく、
大人になった私は、彼とのことを忘れてしまっていた。
そして、季節の匂いを感じることもなくなっていた。
5
息子が5歳の誕生日を迎えた日の朝。
「おはよう」と息子が言い、「おはよう」と私も答えた。
よく晴れた初夏の日差しが私達を包み込み、
開け放った窓から入ってきた心地よい風が、
私達の頬をなでていった。
やがて風が止まると、彼はこう言った。
「夏の匂いだね」
私は何かを思い出しかけながら頷いた。
1998@朔。